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COLUMN食旅紀行

京都から美しいお皿が嫁いでくる

 

2009年10月、縁あって京都の経済界の方々と会したことがある。

その方々と親しい付き合いをさせて貰っているうちに、京都好きはさらに高じ、僕は頻繁に足を運ぶようになった。

 

* * *

 

今回の話は、僕がこの世界に入った頃に遡る。就職する以前から、僕は中型バイクを乗り回すバイク好きだった。

 

料理の世界に身を通じて5年程経った、ある休日の午後のこと。何処かへと向かってバイクを走らせていた僕は、事故を起こして病院へと搬送された。骨盤と足の甲を骨折、全治2ヶ月と宣告され、そのまま入院となった。その頃中堅の身分に昇格したばかりだった僕にとっては、最悪の事態だった。しかもその日の夕刻に、事故を耳にした店のシェフが直々に病院へ足を運んできたのだ。案の定、辺りに轟き渡るような雷が、僕の頭上へと落とされた。

 

手酷く油を絞られている間、 僕はただ首になるかもしれないという不安で胸が塞がっていた。シェフの怒声は遠くから聞こえてくる雷鳴のようで、どこか上の空だった。そんな僕をシェフは見透かしたのか、「自分の行動に責任が持てない人間は会社に来る必要はない」と、僕の心にぐさりと突き刺さる一言を残して引き上げて行った。

 

その時になって僕はようやく、事故を起こした責任の重さと命の重みに気付かされ、改心した。我が身の行動を反省してそれ以来バイクには跨らず、運転することが如何に危険と裏腹にはあるのかということを、身をもって知ったのだった。

 

反省した僕だったが、病院のベッドでじっとしていることは、苦痛以外の何ものでもなかった。骨折以外の身体は全くもって健康そのものだったから、ただでさえ大人しくしているのが苦手な僕は、暇を持て余して退屈極まりなかった。 やることと言えば、TVと週刊誌を眺めること、朝から晩までただそればかりを繰り返していた。TV番組の進行を凡そ把握できる程にまでになっていた位だった。

 

そんなある日のこと。職場の先輩が、見るからに重そうな本の数々を携えて、病室で腐っている僕を見舞ってくれた。持参してくれたのは、フランス料理の本、辞書、そして愛読しているという料理小説や文献等などだった。

「どうせ暇なんだろう。だったらせめて退院した後に、お前が役に立てる存在になれるよう、しっかり勉強してろ!」そうぶっきらぼうに言うと病室を出て行った。

 

僕はそれまで、そうした本の数々に無縁で来た人間だった。正直に言えば実に有難迷惑な手土産だった。しかし、折角の好意でもあったのだからと、暇つぶしにいざ読んでみると…。それらは実に僕を楽しませ、気が付いたら退院の日を迎えたという程に夢中にさせたのだった。

 

退院後の数日間は松葉杖をついて厨房に顔を出し、挨拶だけして帰宅する日々を過ごしたが、その間も本に刺激され、料理の勉強に明け暮れた。この間に、僕はフランス料理の専門用語や、料理の歴史等などの数多くの知識を吸収し、先人たちの料理に対する考え方に触れ、僕を感動させる様々な彼らの言葉をしっかりと頭に焼き付けた。

 

印象深い先人たちの中では特に、美食家として知られる北大路魯山人の考え方や行動力に僕は魅せられた。

著作の『美食と人生』の中で、魯山人は、

「今さら事新しく問題にするのも、チトおかしいようだが、料理も考え方によっては、こんなことが言えるかも知れない。(中略)要するに、与えられたる人生を美しく強く自由に生き抜かんとするには、この際、食物のみを挙げて言うならば、美味いものばかりを食い、好きなものばかりを食い、三度三度の食事に快哉を叫び続けることだ。ついでに食器の美も知って、つまらない食器では飯は食わぬというだけの識見を持ち、深く有意義に終るべきだ」と述べている。

 

僕はこの文章を読んだ時、本当に目から鱗が落ち、一人合点がいったのだった。正に彼が言う料理は、僕が理想として掲げる料理だったのだ。僕はこの文章を読んでそんな風に思えた。現実はそうそう甘くはないことは十分に承知しているが、兎にも角にも僕の頭には深く焼き付いたのだった。

 

松葉杖も外れてようやく晴れて自由の身となった僕は、意気揚々と職場に復帰し、連日早朝から深夜まで料理人として明け暮れた。

それから時を経た2014年、僕は京都でお皿を焼くことになった。とは言っても北大路魯山人の様に大家ではもちろんないことはよく分かっているが…。

 

* * *

 

僕も齢を重ね、食についての理解を深めるにつれ、はっとなって思い出したことがあった。それは先述の『美食と人生』の中で彼が述べていた「人の喜び」についてだ。

 

「美食」とは、とかく「贅を極める」ことに終始するよう思われやすいが、それは大きな間違いだ。「美食」とは「質素」を極めた言葉なのだ。

「美食」は「美しい食」と書き、「質素」は「質の素」と書く。

本来の「美食」とは、「質の素」を見極めることの出来る人格や人望、品格を持つ人間のみが、感じ、理解することが出来る幸せの事を意味する。それは決して金額の多寡や手間のかけ具合とは関わらない。万物の個性や表情をよく見聞きして得た事や、物や、瞬間を、質素に表現し感じ取ることなのだ。

 

「衣食住」とは人の生活の基本的な要件だが、得てして「食」や「暮らし」といったものは、「衣」の見た目に惑わされ、本来発揮するべき魅力が表に出てこないような気がしてならない。決して「衣」を闇雲に否定している訳ではもちろんないが、「衣」に注意が払われ、「食」や「住」が蔑ろにされて色褪せて見えるということを言いたいのだ。

 

だからこそ、魯山人の「美食」言葉の本質的な意味に気付いてから、僕は「美食」という言葉が本当に好きになったのだ。やはり人というのは、「衣食住」が三つ揃って、ようやく「豊かさ」を享受できるのだと思う。

なおいっそう「美食」が、人々を魅了して、人生を和やかに感じて過ごして欲しいと願ってやまない。そしてもっと「住」の美しさや心地良さにも目を向けて関心を払い、真に豊かな暮らしを営んで欲しい。そして僕の人生も是非そのようでありたい。

 

そんなと心境だった僕が、皿を焼くことになって、友人が紹介してくれた京都の窯元へと出掛けたのだった。

 

僕は窯元に赴き、イメージを描き、その拙いスケッチを基に言葉とジェスチャーを混じえて精一杯説明し、ようやくのこと焼いて貰った。

 

後日、試し焼きの見本の皿が横浜へと届いた。

僕は胸を高鳴らせて段ボール箱を開き、幾重にも巻かれた柔らかな紙を解き、その皿と顔を合わせた。皿の方も恥ずかしげにしていたが、互いに一目惚れだった。

 

以後、窯元に入用の枚数を伝えては、毎月毎月、京都から美しい皿たちが、嫁入りしてくる。