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COLUMN食旅紀行

D・A・B -Dry Aging Beef-

 

フランス料理で使われる肉と言えば、仔羊・仔牛・仔鹿・仔猪・鳩類・鶏類・鴨(家禽・野生)・兎・蛙、牛で、もちろん、それぞれに個性がある。

 

仔の付く肉は二種類に分類される。乳飲みの仔と、さらに生育させ、草を食み始めて間もない仔。仔の肉は乳白色で、筋や筋肉が非常に柔らかく、香りがミルキーなのが特徴。

一方、成長した個体の肉には、その肉特有の野性味が備わってくる。筋などを煮込めば、至って旨味の深い味わいとなり、焼けば、野性味溢れる香りを纏ったステーキとなる。 

 

仔の肉と、成長した個体の肉では、屠畜後の肉を熟成させる時間は異なる。

仔の肉は屠畜後早々に食べる事が大事で、熟成はさせずに調理した方が、その特徴であるミルキーな味わいを堪能できる。成長した個体の肉は、個体や種類にもよっても異なるが、一般的に熟成させる過程で、肉の中に含まれている酵素によりタンパク質が分解され、肉質が柔らかになり、旨味成分のアミノ酸が増える。ゆえに、熟成をさせてから調理すれば、より旨味の増した味わいを存分に楽しむことができる。もちろん、熟成期間に応じて、その味わいも、深まりも変わる。

 

さて、米国では古くから肉を熟成させて調理することが行われてきたが、米国や日本国内で「熟成肉」などと話題に上るようになったのは、そんなに昔のことではない。

仏料理の世界では、熟成にはフザンタージュ(野鳥類)とウエットエージング(家畜・野獣類)の二種類の熟成方法が主流(ほぼ、この方法しかなかった)で、サラシなどで肉を巻き、冷蔵庫内で熟成をさせている。この方法で熟成させた肉が美味しいと、認識されていたし、僕もそのように理解していた。今では猛省しているが、以前の僕は、米国の食文化にこれまで興味を抱くこともなく、同時に米国には食文化が存在しないとさえ思っていたのだ。

 

そんな僕の耳に、ある時「ドライエージングビーフ」という単語が幾度となく届くようになった。ニューヨークに、至極美味しい牛肉を食べさせる老舗レストランがあるというのだ。それを聞いた当初は、ニューヨークまで足を運ぶなんて僕には絶対にあり得ないと思っていた。きっとマスコミによる単なる宣伝だと、そう思っていた。正直な話、僕は鼻で笑っていたのだ。

 

そんなある日、僕の先輩が、仕事の忙しい最中に電話をしてきた。

先輩「今、忙しいか。」

僕「 大丈夫です。」

先輩「 あのさぁ、来週の月曜日に、『さの萬』という肉屋さんに視察に行くんだけど、一緒に行かないか。」

僕「 はい、分かりました」と答えた。

先輩からの誘いに「はい」以外の返事はもっての外だ。僕は先輩に伴われてその視察へと出掛けた。大袈裟に思われるはずだが、僕はその時、今世紀最大の衝撃を受けることになったのだ。

 

視察先では、まず、牛肉、鹿肉、豚肉など、四足の食肉には二つの熟成方法があるということを教わる。「ウェットエージング」法と「ドライエージング」法だ。

 

「ウェットエージング」は、骨を抜いた肉の塊を、サラシや布などで巻き、または真空パックして、肉を「ウェット」の状態で保ち、肉自体を乾燥させることなく熟成させる方法だ。真空パックした時は、2℃前後の低温で一ヶ月弱、熟成をさせる。「熟成」とは、肉の酵素がタンパク質を分解し、アミノ酸が増えることによって旨味が増すことを意味するが、日本ではこの「ウェットエージング」法が、一般的だ。「熟成」といえば、即「ウェットエージング」のことを指す。

 

一方、「ドライエージング」法は、肉を枝肉のまま二ヶ月程度の長い時間をかけて熟成させるが、肉自体がもつ酵素を働かせてアミノ酸を増やすのは「ウェットエージング」と同様だが、前者と大きく異なるのは、微生物や酵母菌の働きを活用して外側からも働きかけて熟成させることだ。

具体的には、湿度を80%前後に保ち、外側から強烈な風を肉にあてて、肉内部の水分量をコントロールすることで、特定の微生物や酵母菌の働きを活性化させて熟成を促す。この際、有用な菌と他の菌とのバランスが重要で、バランスを欠いて有用菌の活動が鈍化すると、肉は熟成せずに腐敗へと向かってしまう。この方法の確立には、酵母菌の開発が最重要となる。

 

 

巷で出回る「ドライエージングビーフ」の大方は、酵母菌の働きによって熟成させたものではないのが現状のようだ。確かに、ショーケースなどに飾られている骨付きの肉の庫内を見ると、酵母菌が住み着けるような環境ではない。

また、黒毛和牛をエージングにかけるという店が多いが、これにも僕は疑問を覚える。僕のいい加減な見解だが、阿蘇の赤牛や短角牛、ホルスタインといった赤身の強い肉の方が、黒毛和牛よりもずっとエージング向きの肉のはずだと思えるからだ。

 

赤身の肉は当然筋肉質で脂肪分が少ないが、黒毛和牛はそれとは逆の性質をもつ肉質だ。そして、脂肪と筋肉の水分量を比べると、当然筋肉の方が多い黒毛和牛の方が、水分量が少ないことになる。先に述べたように、ドライエージングには酵母菌の活性が重要であり、その活性には水分が不可欠だ。さらに、雑菌は水分が少ないほうが活性化しやすいことを合わせて考えれば、もしドライエージングを肉に施すならば、僕だったら間違いなく赤身の強い肉を選ぶだろう。黒毛和牛をドライエージングするならば、腐敗リスクが高まるから、ウェットエージングを選ぶことになる。

 

そこで僕は実際に実験した。実験に用いた肉は、黒毛・短角・金華豚・黒豚の4種。個人的に行った素人の実験だから、大学や研究所の結果とは異なるのは否めない。

結果は、僕が予想した通りで、良い結果へと向かったのは、短角・黒豚だった。 結論を述べれば、肉の「さし(脂肪)」と、水分の多少が、結果を左右したと考えられる。

 

紹介を忘れたが、今回のエージングについて僕らに解説して下さったのは、富士宮で肉屋を営む「さの萬」の主人こと、佐野桂治氏だ。

 

佐野氏の話に僕は耳を傾けていて、エージング方法とは如何に難しく、如何に繊細さを要求されるのかということにつくづくと感じ入った。温度や湿度の管理、風や水分の調整、そして肉の熟成に不可欠の酵母の研究。

 

肉の環境をどのように整えれば、またどのようにそれぞれを組み合わせるのが一番望ましい方法となるのか。 そうした一つ一つを試行し見つけ出すだけでも至難の業であるのに、更にベストの状態を安定させなければならないのだから、途方もない時間と労力、そして費用がかかることになる。弛むことなく邁進されて、佐野氏は確立された。

 

現在「さの萬」の熟成冷蔵庫には、全てが整った環境の中で、数十体の牛肉が熟成を進めている。日本の古くからある醤油蔵と同じように蔵内を酵母が浮遊し活動している。

 

決して肉眼では見ることの出来ない酵母の世界だ。