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COLUMN食旅紀行

ハーブティーは気持ちの寛ぎ

 

フランス料理店の見習いをしていた頃の話だ。

毎朝シェフが店に入ると、決まって僕がコーヒーを淹れていた。

「おはようございます。今日も一日宜しくお願いします」と挨拶して、シェフが座るデスクにコーヒーを運んでいた。しかし、毎朝の気持ちのよいはずの習慣の裏側で、僕は先輩から毎日のように叱られていた。

 

シェフよりずっと早く出勤する僕は、早朝から当然のごとく仕事に追われていた。その日に使う先輩のまな板やタオル、大小鍋類の準備、野菜などの食材の下拵え等など。とにかく見習い小僧の僕がしなければならない事は山程あり、厨房にいる時はいつもその段取りで頭の中はいっぱいだった。

シェフのコーヒーは、エスプレッソマシーンを使って淹れていた。マシーンのボイラーが温まるまでには時間を要するから、シェフが登場してすぐに淹れることは出来ない。シェフが店に入る時刻になって、さあコーヒーを淹れようと勇んでマシーンの前に行ってみると、マシーンを立ち上げていなかったことは、万度あった。

そうした失敗を踏まえて、今日は準備万端と気合を入れてシェフの登場を待っていて失敗したこともある。営業前のギリギリの時刻になり、仕入れた食材と共に現れたシェフに、急いでコーヒーを持って行くと「周りの状況が分からないのか」と一喝された。

 

「コーヒーを淹れる」という単純なことが、その頃の僕には実に難しかった。

タイミング悪く淹れて、すっかり冷めてしまったコーヒー、飲む時間がないのに淹れてしまったコーヒー…等など。その頃の僕は、無駄なコーヒーを数限りなく淹れては、胃袋へと流し込んでいた。

 

やがて、そんな失敗を重ね続けているうちに、僕は次第にコーヒー恐怖症になっていった。

 

そんなある日のこと。

先輩から「今日は俺がコーヒーを淹れるよ」と言われた。僕はその言葉に甘えて仕込みに没頭していたら、その先輩から「マシーンを立ち上げるぞ」と声が掛かった。

「電源を入れて約30分、そろそろシェフが来るからカップにお湯を張って…、今日の気分はブラックだな…」と呟きながら先輩が準備をしていると、シェフが店に入って来た。それを認めた先輩は「おはようございます」と挨拶した。シェフも応じて「おぅ おはよう。」先輩は淹れたてのコーヒーをシェフのデスクへと運び「今日も一日宜しくお願いします」と、もう一度挨拶した。シェフはコーヒーを一口啜ると「さて今日も頑張ろう」と言った。そして、先輩のところにやって来て「ブラックな日だね」と一言告げたのだった。

 

僕はこの事態に開いた口が塞がらなかった。何で先輩は分かるのか。何で「ブラックな日」なのか。僕はその目の前の出来事が実に不可解で、その意味するところを理解することが出来なった。この日を境に、僕はさらにコーヒーが嫌いになってしまったのだった。

 

そんな僕だったが、職場にも慣れ、順調に仕事を覚えていくうちに、先輩の所作の意味することをようやく理解した。それは、「段取り」にあったのだ。

シェフの行動と考え方を知っていれば、彼が何を望むのかについては推し量ることができ、それは至って簡単なことだった。前日の内に翌日の予定と段取りを確認すれば、シェフが何時頃店に現れるか分かるし、賄いを共に食べれば、好みと体調が把握出来る。ようやくその事に気付いた僕は、一頃休んでいた朝のコーヒー係を再開し、次第に冷めたコーヒーを飲み干すことも少なくなっていった。

 

ある日、コーヒーではなく、お茶を淹れてシェフのデスクに運んだことがあった。その前日の会話から、僕はシェフの気分がお茶を欲しているような気がしたからだった。いざ出してみると、シェフは「いいねぇ。今日はお茶だよね」と嬉しそうに僕に言ってくれた。してやったり!という瞬間だった。この日のこの出来事は、今でも鮮明に覚えている。初めて僕が人に喜ばれたような気がしたからだ。

 

しかし、コーヒー恐怖症がすっかり治った訳ではなかった。僕は食事に出掛けた先で「食後にコーヒーにしますか紅茶にしますか」と問われると、つい「紅茶で」と答えてしまっている。

 

そんな僕も歳を重ね、自らフランス料理を食べに出掛けるようになった。

ある時、僕は素晴らしい料理と饗しで有名な店へと足を運んだ。食前酒のリキュールから始まったその店の料理の数々はどれも趣向を凝らしたもので、評判に違わず実に素晴らしく、僕は時の経つのも忘れて十分に楽しんでいた。今宵の食事のフィナーレを告げるデザートが運ばれると、給仕人から「食後はコーヒー、エスプレッソ、カプチーノ、紅茶、もしくはハーブティーをご用意しておりますが、いかがなさいますか?」と聞かれた。

 

彼の問いかけには、これまで僕が耳にしたことがない単語が含まれていた。何だろう、ハーブティーって。僕の興味はもの凄い勢いで掻き立てられ、ハーブティーを注文した。やがて僕のテーブルに、そのハーブティーとやらが運ばれてきた。紅茶用の白いカップに注がれたそれは、一見お茶のようだったが、香りは正にハーブそのもので、気持ちが和ぎ実に心地良かった。

 

 

この料理店でハーブティー出合うまでの僕は、過去の恐怖症と相俟って、食後にコーヒーが運ばれると、「食事も終わりましたからそろそろお帰りの時間ですよ」と、店に追い立てられているような気分になっていた。コーヒー代わりのものを頼むのもどこか気が引けるし、店の方でも何か別のものを勧めてくれるわけでもなかったから、結局はコーヒーがテーブルに届けられて、一口、二口、口に含んで、さっさと店を後にしていた。だからコーヒーは、僕にとって実に厄介なものだった。食事自体は楽しく気分が良いのに、最後のコーヒーでその気持が台無しにされてしまうのだ。それに紅茶ならば、大抵カップと一緒にポットも出されるから、たとえ飲み干しても心置きなく好きなだけ注ぐことが出来る。それに対して、コーヒーはもう一杯飲みたい時には、わざわざ頼まなくてはならない。しかも、コーヒーは食事の最後を締め括るのには向いているかもしれないが、愉快な気分さえも括られて萎んでしまう感じがするのだ。

しかし、紅茶やハーブティーはそんな厄介な気分にさせない。口にすれば、その素晴らしい香りの効果でリラックスして、実に寛ぐ。気持ちは落ち着き、和やかな気分にさせてくれるのだ。そんな感覚を、僕はその店で初めて覚えたのだった。

 

僕は食後にはハーブティーを頼むようになってから、料理自体を楽しむだけでなく、食事の全てを楽しむ気持ちをも満足させられるようになった。このハーブティーのおかげで、僕は長年のコーヒー恐怖症すらも克服したのだ。今では時折々でコーヒーを淹れたり、淹れてもらったりして楽しんでいる。それにコーヒーのない朝も、休憩時間も考えられない程にまで回復したのだ。

 

随分話は長くなってしまったが、やはり今でも食後のコーヒーだけは、僕は出来る限り御免被りたい。

 

だから僕の店では、好みに応じて食後の飲み物をまずお出しするが、その後ハーブティーも必ずテーブルに運ぶ。初めて来店された方に間違いと思われぬように、「店からのサービスです」と一言添える。

 

ハーブティーの効果かどうかは確かめようもないが、ハーブティーをテーブルに運ぶようになってから、以前より増してお客様方がゆったりと食後を過ごされているように思う。

折角来店されたのだから、同席の方々と食事は食事として美味しい料理を楽しまれ、そして食後のハーブティーと共に、積もる話を寛いだ気分で語られたらと、僕は願っている。

 

コーヒー恐怖症が契機になったハーブティーとの出合い…。

今ではそのおかげで、来店者の方々が食後にゆっくりと会話を楽しむ時間を作ることが出来た。もしも、あの見習い小僧の僕の経験がなかったら、きっとハーブティーとは出合わなかっただろう。