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COLUMN食旅紀行

築地で出合った下田の果樹園

 

築地に通い始めてもう何年経つのだろう。

朝五時半に家を出る。築地に着くと真っ先に向かうのは野菜の仲買「やっちゃ場」だ。すでに仕入れが決まっている野菜や果物の荷出しを仲買店にお願いするためだ。

ついで、僕は水産の仲買店が立ち並ぶ棟へと向かう。ぐるりと一周して、気になる海産物に目星をつけていく。でもこの時は、店頭の品物だけを見て回るだけ。但し、それは店頭のものを買うためだけではなく、仲買人の目利きの程度も推し量る探索でもあるのだ。というのは、仲買店の多くは売れ筋の品物しか店頭に並べていない。これぞという品物は大抵奥深くに隠してもっている。だから良い魚を並べる店は、良い物を見分ける能力に長けていて、秘蔵品もあり、僕がその逸品を手にする可能性が高いのだ。こうして一周し終わると、僕は意気揚々と目星をつけた店へと再び足を向ける。しかし、この手法は買い手の目も利いていなければ、当然話にならない。目が利かなければ、自ずとスカを掴んでしまうことになる。通い始めは良くあることだが、経験を積むと目が利くようになるはずだ。



目星をつけた幾つかの店舗では、今日の店の一押しを披露してもらう。ここからが本当の勝負。買い手が勝つか、負けるかの大勝負だ。この勝負を制するには、産地の荷主(港の仲買)をよく熟知しておかなければならない。僕は年がら年中あちこちの産地に直接足を運ぶので、おおよその漁港については詳しく、目敏い。しかし、そんな僕でも未だに知らない産地や荷主が新たに出てくるから、築地市場の中ではこの魚類棟が一番勉強になる。


勝負の行方はその日その日で様々だが、僕にはもう一つ重要な仕事が残っている。それは料理の構成だ。主材となる魚が決まっても、料理法や付け合せを考えないと、魚を選ぶことは出来ない。良い品物と出合えても、それを生かす料理法を知らなければ、その真価を発揮させることが出来ないばかりか、その価値を著しく損なわせてしまう。料理人は、いついかなる時も、技量を問われるのだ。何と恐ろしいことだろう。



魚が無事決まったら、今度は料理をイメージしながら再び市場内を歩き回る。イメージが固まると、再びやっちゃ場へと出向いて、付け合せの食材探しを始める。魚の仲買場とは異なり、やっちゃ場での探索は困難を極める。というのも、野菜は基本的に袋や段ボール箱に収まっていて、品物を目で確認することが出来ない場合が圧倒的だからだ。ゆえに、魚類棟の数倍の時間を要するのだ。



魚は店頭の品物で店のセンスの良し悪しを見分けるが、やっちゃ場の場合は、売り子の身なりや様子、また品物を説明する内容から、僕は判断する。これはあくまでも僕の持論だから参考程度にしかならないが、美味しい野菜の説明には奥深さというものがあり、そうでない野菜はそれなりの説明しかないと思っている。僕はその判断において見分けている。例えば説明に、「越冬○○だから」とか、「有機栽培の○○だから」とか、あるいは「○○産だから美味しいといった場合は、完全に却下する。本当に美味しい場合は、判で押したように「食べてみなよ!」というフレーズが必ずといっていい程説明に入る。でも、この「食べて見なよ」という言葉を掛けて貰えるには、買い手の執念深さが、そこになければならない。ゆえに、野菜を選ぶコツは、売り子との人間関係を築くことが何よりも重要になってくるのだ。



僕は、やっちゃ場で懇意にしている店へと出向き、今日の魚料理のイメージを伝えて、色々な野菜を出してもらう。その時に重要なことが、もう一つある。それは、料理にかける情熱だ。これは料理人にとって非常に大切なことだ。情熱が伝わると、売り子は親身になって品物を選び出すだけでなく、例え他店の商品であっても紹介するからだ。それが出来るのは、売り子が市場内で商いされる品物の種類や品質や味についてよく熟知しているからにほかならない。先に言ったように、品物はほとんど目に触れない形で置かれているから、このような訳知りの店と親しく付き合うことは、料理人にとってもの凄く重要な事になるのだ。



僕は、そうして築地市場で全ての食材と向き合い、その日の美味しい料理を頭に描いて、スタッフが待つ横浜の厨房へと帰るのだ。


市場通いのそんなある日のこと。僕はいつものように魚の仕入れが済み、やっちゃ場で「何か面白いものがありますか」と尋ねた。そこは野菜専門の店だったにも関わらず、「旨い柑橘がある」という。柑橘って…。魚料理に、柑橘はどうだろうかと思ったが、店の人に促されて、店の大きな冷蔵庫に入った。彼が見せてくれたのは、肌理が粗い、葉付きの柑橘だった。僕は思わず「やけに肌が荒れていますね」と言うと「そうなんだ。でもこの柑橘はすごく旨いよ」と答えたのだ。そこで試食用に常時携えているソムリエナイフを出して皮を剥いてみると、驚くほどの香りが立ち上ったのだ。「すごい香りですね」と言うや早いか「だから旨いって言ったでしょ」と応じた。そう言われた時点では、まだそれを口に入れていなかったのだが、その芳醇な香りから、食べなくてともその美味しさは十二分に僕に伝わっていた。それで「これ何ていう名前」と尋ねると、「どんぐり」と…。「えっどんぐり?どんぐりは木の実でしょ」と言うと、「うそうそ。これは下田のどんぐり農園で作っている『黄金柑(おうごんかん)』というものだ。これはクレメンチン」と言って、他にも幾つかの柑橘を紹介してもらったのだった。

 

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どんぐり農園で唯一「どんぐり」の名を冠する柑橘がある。先代の主が育種した「どんぐりオレンジ」は、先代が大好きな奥方のような別嬪さんだ。

このどんぐりならぬ、「黄金柑」の美味しさは殊の外格別で、これ以降、この柑橘を築地から仕入れていた。しかし、仕入れ始めてから一年ほど経過した頃、やはり産地を直接訪ねてみたいと、僕は満を持して仲買さんに紹介してもらった。そして、3月のある日、柑橘の故郷「どんぐり農園」へ向けて車を走らせたのだった。



車は伊豆半島を順調に走り、国道135号線を西下した。下田駅を過ぎたあたりから、山側へ、そして大賀茂方面に向かった。それから民家の路地を入り山道を進むのだが、その先で、誰しもが間違えた!と、不安に思うはずの「切り通し」に出くわすのだ。これは、その昔に巨大な岩をノミで削って通した道だという。道の両側はそそり立つような絶壁になっていて、車が一台やっと通り抜けられるような道幅しかない。もちろん、Uターンはおろか、バック走行でも余程の腕前でもない限り、間違いなく皆尻込みするはずだろう。

しかも、この切り通しの前に出るまでも、道に迷わされる。僕はこれ以後何度も訪ねているが、必ず一度は間違えている。カーナビの地図表示は当てにならないから、初めて訪ねる時は注意が必要だ。しかし、この切り通しがどんぐり農園に到着したことを知らせる目印で、農園の入り口となっているのだ。切り通しを抜けると、雰囲気の良い風景が広がる。それはあたかも、海中トンネルを潜り抜けて海面に浮上し、辺りを見渡してみたら、そこには別世界が広がっていたという感じなのだ。

到着すると、農園の主人と奥様が僕らを迎えてくれた。夫婦揃って優しい顔立ちをされている。挨拶もそこそこに済ませて、早速主人と果樹園を散策した。



勾配のきつい農道を進めば、右も左も、見渡す限り柑橘が実っている。オレンジ色、黄色、薄黄緑色、レモンイエローに輝く柑橘の実が、下田の海風に吹かれて気持ち良さそうに揺れていた。この農園では数十種類の柑橘が育てられている。農園に身をおいていると、まるで瀬戸内にいるような錯覚に陥る程だ。



あまりの眺めの良さと心地良さに、一人陶酔していると、農園の主は「これはね○○という実で…」と名前を教えてくれながら、皮を剥いて食べさせてくれた。もぎたての柑橘は、なんとも言えず香りが良い。僕は一応、一つ目は〇〇ね、次は〇〇ね、とメモを取ってはいたものの、次から次へと繰り出される柑橘を前にしてすっかり書き留めることはやめてしまった。数十種類の柑橘が、僕に試食の戦いを挑んできたのだから、それは本当に大変なことだった。こんな経験をしたことのある人は、まずいないと思う。何十もの柑橘を、次から次へと特徴と名前を頭に入れながら、しかも口を濯ぐことなく味見をするというのは、少なくとも僕にとっては戦いとしか言いようがない。とにかく、こんな貴重で大変な経験は初めてだった。

不思議なもので、これ程沢山の柑橘を試食しても、強く印象付けられた香りと果汁の柑橘の名前だけは、はっきりと記憶に残るものだ。僕が気に入ったのは、「田中黄金柑」と、その時点ではまだ研究段階の未だ名のない柑橘の二つだった。この研究種の食感が実に面白い。まるでジュレのようで、一般的な食感とは全く違うのだ。主人は「俺がつくった傑作で、これから枝を安定させて増やしていくつもりだ」と胸を張って話されたのが印象的だった。

 

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初回の訪問時から歳月は流れ、農園の主はその子息へと継がれた。あの次から次へと試食させてくれた主人は他界されたのだった。

それは今、海風に吹かれる木々の中から、綺麗なレモン色を覗かせている。