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COLUMN食旅紀行

土の中の黄金竹 と ウナギ

 

春を告げる食べ物は、色々とある。中でも「筍」は「竹」冠に、「旬」と書くから、その最たるものかもしれない。

今回はその筍の話。しかし筍と一口でいっても、筍の旬は様々だ。日本列島は南北に長く、季節の到来も異なるから、筍の収穫時期も地域それぞれに違う。また、孟宗竹、破竹、緑竹、笹竹等などと、その種類も意外と多い。とはいっても、一般的に食べられているのは、孟宗竹だ。

 

ところで、竹は山を荒らす植物として忌み嫌われることもある。繁殖力が旺盛だからだが、一度山に根を下ろすと、怒涛の勢いで根を張り巡らせて、あっという間に竹の山にする。「破竹の勢い」とはこうした竹の生命力の強さから出た慣用句だ。

 

とは言うものの、僕らがイメージする筍の最盛期は、4月頃になるだろう。僕はその頃、山菜狩りで野山を駆け回る季節に入っているが、ワラビを探し回っていると、よく竹藪にぶち当たる。竹藪目指して歩き回っている訳ではないが、気が付くとモグラが出てきそうな土がちょっと盛り上がったところで、ばったりと筍と出くわすのだ。

僕はもちろんワラビ狩りを一旦休止して、筍堀りに精を出す。小さな鎌で、ここほれワンワンとばかりに掘り進むのだ。まだ土から顔を出していない筍は、えぐ味が少なくとても美味しい。こうして野山に入って歩きまわり、僕は時々の旬の味を楽しんでいる。

 

そんな感じで筍を楽しんでいた僕だったが、ふと、筍も他の食材と同じように、地域毎に異なる風味があるのではないかと思い始めた。

春の到来は桜前線の動きと重なるから、まずそれを頼りに様々な地方の筍を探して回った。すると日本には僕が知らない筍が、まだ数多くあったのだ。

それからの僕は、どんどんと筍への興味が尽きることなく湧いてきて、詳しく調べてみると、僕が思いもしないような筍があることが分かった。

 

春のものと思っていた筍だったが、真夏に旬を迎える筍もあったのだ。

それは、九州で採れる「緑竹」だ。僕はどうしても食べたくなって、たまらず鹿児島の仲買人さんから早速取り寄せた。春の孟宗竹とは違って、その名の通り緑がかっているこの筍は、えぐ味が全くと言っていい程ない。夏場の筍だというのに、香りも中々で、至極食べやすい筍だった。以来、僕は夏を迎える頃、遊び心で料理に入れることがある。大半のお客様は「どうしてこの時期に筍が…」と言って、その思いがけなさに喜んでくれるからだ。そんな反応を僕も楽しんでいるから、今ではすっかりこの時期の、僕の大切な食材の一つとなった。

 

* * *

 

一方で緑竹とは逆に、寒さが深まる11月の終わり頃に出回る筍もあった。

僕が調べて回っていると、ある仲買人が「電熱線を地中に埋め込んで地面を温め、筍に春の到来を勘違いさせて収穫する人がいる」と教えてくれた。世の中には面白いことを考える人がいるなあと、話を聞いた時には呑気に思っていたが、やっぱりなぜそんな寒い時期に筍が収穫できるのかが不思議でならなかった。すると、やはり仲買人の言う通りなのかもしれないなどと、僕の頭は堂々巡りして止まらず、それなら解決しようと、思い切って実際の現場まで向かうことに決めたのだった。

 

とは思い立ってみたものの、その現場を全く知らないので、僕は教えてくれた仲買人さんにそれとなく尋ねてみた。すると彼は、知り合いの水産会社を紹介してくれた。しかし、なぜ水産会社のだろうと理解に苦しんだが、とりあえず紹介された通りに行ってみることにした。

 

築地市場の仕入れを早々に切り上げて、無駄足覚悟でその水産会社に向かった。でもやはり応対してくれたのは、どこから見ても水産関係に従事されているといった感じの人物だった。とても、僕が求めている解答を用意しているとは思われない。ちょっとトイレにでも行く振りして、逃げようかなどという考えさえ浮かび始めた時、先方から先に「筍の件でしょ」と声をかけてくれた。不意を食う形となったが、彼は慌てる僕など気に掛ける様子もなく「鹿児島の蒲生に早堀りの筍を栽培している農家さんがいるから紹介しますよ。この方はかなりの達人だからビックリするよ」と力強くも親切に教えてくれたのだった。

その後、彼と僕はすっかり鹿児島の筍談義と世間話に花が咲いてしまい、気がついた時は、店の営業時間が迫っていた…。

 

とこんな調子だったが、ようやく僕は冬場の筍掘りへと向かった。

行く先は、鹿児島県の中央部に位置する姶良市蒲生(あいあらし・かもう)だ。

 

季節は春まだ先というよりも冬真っ只中の1月に、僕は鹿児島へと飛んだ。

鹿児島空港からレンタカーを走らせること3時間。ようやく目的の達人宅へと到着した。早速「こんにちは、今日、筍の見学にきた者ですが」と声をかけると、「はいはい、お待ちしていました。どうぞお入りください」と言って、僕を家の中へと招き入れてくれた。茶菓子とお茶が出されると、どこから来たのか、年は幾つなのか、結婚はしているのか、子どもはいるのか、何故料理人になったのか、などと僕の色々について、達人は矢継ぎ早に質問を繰り出すのだった。僕がその 一つ一つに答えると、その都度「そうかい」と頷かれた。

ようやく質問攻め解放されると、今度は攻守交代して僕が筍について色々と質問をし始めたら「話をしても判らねえから、山へ行って説明しよう」とぶっきらぼうに答える。攻められるのには慣れないのか。「いいから車に乗れ」と一言命じられ、僕は素直に車に乗り込んで、現場の山へと向かった。

 

山に到着するや、僕は竹の子用の鍬と背負子(しょい籠)を手渡された。それを背負い、10分程歩くと、達人が「鍬をかせ」と言った。僕が手渡すと、達人は見事な手さばきで筍を掘った。そして「お前も探せ! 」という指令の下に、僕は懸命に筍を探した。もうこうなると師弟関係の何ものでもないから、彼は達人でもあるが、師匠そのものだ。僕が一本見つけて師匠を見ると、彼は既に4,5本も手に収めているのだった。夢中になって見つけては師匠を呼び、掘り上げては、また探すということを繰り返すこと2時間ばかり。すると下の方から「ご飯だよ~」という何とも穏やかで心にもお腹にも温かい声が聞こえてきた。そうか、ご飯が食べれるのか。そう思い始めたらお腹が減っていることにようやく気付いた。師匠に「ご飯ですって」と伝えると、「そうか」と言ったきりで、ご飯を食べに下る気配がない。僕は、「師匠は事を一旦始めると、中途半端にやめない性分なのだ。やっぱりそうか」と独り呟いて、僕もさらにやる気が漲ってきた。師匠が垣間見せた気質は、僕が大歓迎するところだからだ。「負けてたまるか」と僕の胃袋に言い聞かせて、師匠に倣って筍を掘り続けた。

 

どれ位時間が経ったのだろうか、日が傾き始めた頃、師匠が「帰るぞ ! 竹の子を背負って下ろう」という号令を下した。僕はズッシリと重たくなった籠を背負い、車と現場を三往復した。ようやく全ての筍を車に積み込んで、やっとこれでご飯が食べられると思いながら呑気に車に揺られていると、

 

「ここだ。降りろ」とまたもや声が掛かった。

「えっ! 何故ここで…。」渋々車から降りると、今度は車の後ろから、何やら見たこともない農機具が師匠に担がれて登場した。

「どこに行くんですか」と尋ねると、

「早堀りの筍を見たいんだろ」と畳み掛けるように応じる師匠。

「もう見ましたよー」と心の中でそっと呟いたが、傍目にも僕の顔は不貞腐れた感じに映っていたはずだ。

すると、師匠は弟子の表情も露とも感じない様子で、

「本当は見せたくなかったのだが、お前はなかなかしぶとそうだから、もう少し教えてやる」と言うではないか。

 

褒められたような、騙された様な、狐につままれたようなそんな気分だったが、弟子の僕はさっきまでの気分はどこかに吹き飛んで、「やった!」と小さくガッツポーズをしていた。

こうして、師匠の奥義の掘削法が披露された。その様子を僕はつぶさに観察していたのだが、 言葉で上手く説明することが出来ない。それ程までに、師匠の技は凄く、熟達していた。

師匠は、まだひびすら入っていない地面を「ここにある」と言いながら、そこに、すっと例の農具を差し込んで、ツンツンと突く。またもや「ここにある」と呟いて、見事な手さばきで掘り返す。すると、そこに見事な黄金色筍が現れるのだった。「お前も探してみるか」と師匠が僕に言うので、戸惑いながらもやってみせるものの、僕は全く探し当てることが出来なかった。 でも僕は納得。やはりそこが達人と素人違いなのだと、改めて師匠の技の凄さに感じ入った。

 

ようやく師匠宅へと僕らは戻った。

食後、「そう言えば、何故この時期に竹の子があるのか」と師匠に尋ねると その答えは至ってシンプルなものだった。「単純にこの時期に掘れるんだ」と。しかし、そこには少し工夫がある。でもその工夫については他言無用なので、僕がここで公開することは出来ない。しかし、あの電熱線を用いる方法ではないことだけは確かだ。

 

僕は当初の目的をすっかり果たし、そしてそれ以上の収穫をした気分だった。帰り際に絶対食べきれない程の竹の子を土産に貰ってしまったので、「こんなに頂けませんから、せめて少しでもお支払いをさせてください」と願い上げたら、師匠の奥方にこんなことを言われた。

 

「あなたからこのお金を受け取ってもマンションが建つ訳でもないし、そんな事よりも、これでみんなに沢山美味しいものを作って食べさせてくれた方が私たちは嬉しいよ。若いもんは沢山食べて一生懸命に働くのが仕事だ。身体には気をつけて頑張るんだよ」と。こんなにも色々と僕にしてくれた上に、まさかこのような嬉しい言葉を頂くとは思いもよらなかったから、僕は思わず目が潤んでしまった。 

 

* * *

 

翌年の夏。蒲生の師匠から電話が入った。

「東京の築地の方々とウナギを食べに蒲生に来い」という。

あまりにも唐突な指令に一瞬戸惑った僕だったが、二つ返事で「筍」でなく「ウナギ」を食べに師匠の家に向かうことになった。師匠直々の招待を断るわけがない。それにしても何とも可笑しみのある誘いだった。

 

昨年と同じ道を通り師匠宅へ到着すると、奥方が僕を出迎えてくれた。今回は家の中ではなく、そのまま庭へと通された。するとそこでは、すっかり出来上がっている旦那衆が焼酎を片手に炭を囲んでいたのだ。出迎えた師匠は「よう来た。よう来た」と上機嫌に焼酎を勧め、僕は駆け付け一杯どころか数杯をあおって、ようやくその輪に加わった。師匠は、昨夜からの一連のことについて色々と説明をしてくれるのだが、呂律が回らない口調では、何が何やら分からない。困っていたら、奥方が助け舟を出してくれて、ようやく僕は大筋が理解できたのだった。

 

その話を要約すると、

師匠は、2日前に自宅から3時間ほども離れた清流に潜んでいるウナギを狙って仕掛けをして、昨日の昼過ぎに築地からの来訪者と共にその仕掛けを引き揚げたそうだ。引き揚げた仕掛けには、8本のウナギが掛かっていた。それを今朝方捌いて、昨年から仕込んでおいたウナギのタレと、諸々の準備をして、僕の到着に合わせてウナギのバーベキューパーティーを開く予定でいたそうだ。ウナギのタレというのは、醤油、味醂、酒を合わせたものに、昨年中に生け捕ったウナギの骨を焼いたものを漬け込み、長い間寝かせておいたという師匠手造りの秘伝のタレだ。僕が到着する前に、遊びに来た近所の友人らと雑談をしているうちに、今日のウナギの話になり、師匠は辛抱できずに焼き始めたということだった。

この話を聞かされた時には、ぼくもすっかり酒が回っていた。

そして、気が付いた時にはもう日も傾き、帰路に着かねばならない時刻をなっていた。

 

後ろ髪引く思いで帰り支度をしていると、奥方がお土産をもたせてくれた。塩蔵筍だった。今度ばかりは嬉しい気分と辛い気分が入り混じった気持ち。というのも、その心からのお土産は「手にいっぱい」というよりも、「背負う程にいっぱい」と表現する方がぴったりなくらいの、もの凄い量だったのだ。結局、僕は塩蔵筍をダンボール箱に入れて抱え、横浜へと急いだ。

もちろん、それがかなり過酷なものとなったのはお察しの通り。

 

筍探しに明け暮れた日々は一旦終了した。僕にはまだ「緑竹」を探すミッションが残っているが、それはいずれかの機会に。

 

年の瀬が近づく頃になると、蒲生の筍が恋しくなる。夏が来るとなぜだかウナギが恋しくなる。縁は異なものというけれど、よくよく考えてみても、やっぱり不思議な縁だったことだけは確かだ。