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COLUMN食旅紀行

自然の力 山地酪農 牛乳

 

小学生の頃、毎年夏休みになると、僕は家族や親戚の人たちと一緒に伊豆大島に旅行に出掛けた。毎年続けて伊豆大島に行ったのは、恐らく僕の父が釣りをしたかったからだと思う。大人の思惑がどうであれ、僕はこの伊豆大島の旅行が最高の楽しみだった。伊豆大島のどこまでも高い空の下に広がる、透き通る程に青い海での遊びは、これ以上ないというほどの最高のものだった。

 

特に僕を夢中にさせたのは、磯遊びだ。早朝の引き潮の頃に勇んで海に向かうと、そこにはサザエやシッタカ、タカラガイ等の貝類、他にもアオリイカの卵や、潮溜りに逃げそびれたタカベが獲れた。真夜中にも海へと出掛けた。夜分は磯ガニが磯岩でスヤスヤと眠っているから、懐中電灯で照らしてそっと捕まえる。そうすると、磯ガニは、やられた!といった具合で、捕まえられたことに気付くが、もう時はすでに遅く、磯ガニは僕の手のひらの中に収まっていた。そうやって磯ガニを沢山捕まえると、僕は意気揚々と父親に渡すのだった。それは全部翌日の父の釣り餌になるからだ。

 

真夜中から始めた磯遊びの帰り道には、子供の僕をワクワクさせることがまだあった。それは民宿に辿り着くまでの間に、クワガタムシが捕れるポイントがあったからだ。そこに立ち寄ってみると、ビックリするほどにクワガタムシがいた。その中から、最も強そうな奴を選び抜いて持ち帰り、もう一つの夜の楽しみ「クワガタ相撲」の力士として活躍させた。

こんな感じで昼夜問わずに遊べるから、伊豆大島はやんちゃな僕にとって最高の遊び場だった。

 

しかし僕や父だけがこの伊豆大島旅行を満喫していたわけではなかった。母や親戚の女衆らもこの旅行を大いに楽しんでいた。果樹園に出掛けたり、温泉に入ったり、美味しい焼き肉を食べたりといった観光が主だったが、子供たちが喜ぶからといっては、僕らを引きずり回すことについては、本音を言えばありがた迷惑だった。

 

そんな退屈に思われた観光地の中で、僕も嬉しかった場所がただ一つあった。それは、島の牧場だ。この牧場で飲んだ牛乳が、兎にも角にも美味しかったのだ。

一般的にスーパーに並んでいる牛乳は、どんなに早くても搾乳後3日は経過している。しかしこの牧場の牛乳は、朝搾りたてだから鮮度が抜群なのはもちろん、低温殺菌処理されているから、牛乳本来の風味があるのだ。味に特別にうるさい子供ではなかったが普段飲んでいた牛乳と違うことは、その頃の僕でも十分に分かるほどに抜群に美味しかった。

 

 * *

 

このような搾りたての牛乳が一般市場に出回ることがないのは、牛乳が食品衛生法によって細かく規定されているからだ。消費や流通構造の変化等も考慮しなければならないが、こうした牛乳関わる規制は、中小零細の乳牛業者、さらには「酪農」という事業あり方までも大きく変えていった。

 

僕は、かつて飲んだ美味しい牛乳、本来の味が生きている牛乳を探して、また旅に出た。そうした酪農の現状であっても、山地酪農(やまちらくのう)を実践している酪農家が国内に数戸残っていることを耳にしたからだった。

 

今回の訪問先は、岩手県中洞(なかほら)牧場だ。

 

中洞牧場は、三陸海岸から20km程内陸に入った北上山地の中にある。山地酪農とは、里山や山林を活用した酪農のことだが、中洞牧場の牛たちはこの自然豊かな場所に放牧され、草を食んでいる。季節が違えば僕もあの夏休みのようにはしゃぎ回るところだが、今回訪問した季節はあいにく雪深い時期だった。

 

盛岡から宮古方面へ、僕の車は国道455線を走ること4時間。ようやく僕は、ポツンと立っていた中洞牧場の看板を見つけた。周りには人工物が一切なく、この看板を見逃すと大変なことになる。というのも、事前に牧場の方から「たまに昔の牧場へと、カーナビが案内をすることがあるから気をつけて来てください」と聞いていたからだ。看板を認めた僕は安堵したものの、その先が大変だった。看板を右手に折れて雪道を上るものの、牧場地の牛舎には牛も人影も見当たらない。しかたなく来た道を引き返し、周辺を探してみた。

すると、片道一車線の真ん中に車が停車していて、少し離れた場所に男性が立っていた。どうも用を足しているらしい。都会だったら不愉快に映る行為も、雪深いこの場所だと何となく可笑しみを感じる。折角出会ったことだしと、牧場について僕が尋ねると、その彼は俺の後ろを着いてきなといった勢いで、僕の前をズンズンと進んでいった。

 

人情味のあるこの人物に連れて行かれたのは、先程行った場所から少し奥まった所だった。事務所のようだが、休憩所も兼ねているのか、若い男女5人が炬燵で昼食をとっていた。

「食事中すみません。本日伺う予定と連絡を入れた者ですが、こんなタイミングで着いてしまいました。車で待っていますので、皆様の都合の良い時間になったら声をかけて下さい」と声を掛けると、「部屋の中でどうぞお待ちください」と親切に言ってくれた。

 

昼食を終えたスタッフの一人が「これ飲んでください」と、瓶詰めされた牛乳を、待っていた僕に手渡してくれた。

久しぶりに目にした瓶詰めの牛乳だった。懐かしさと同時にどこか照れくさいような気持ちになって、直ぐに飲み干してしまうと勿体ないような気がした。じっくりと瓶を眺めて、キャップを外したら、あの懐かしい厚紙の牛乳キャップが目に入った。この瞬間、学校の給食や近所の牛乳屋で飲んでいた情景が呼び起こされた。あの懐かしき昭和の時代の、針のついた栓抜きで、厚紙のキャップを慎重に持ち上げる僕の姿を。

あのどこか懐かしい昭和の時代について、誰に聞かせるともなく呟いていると、僕に牛乳を渡してくれた彼が「よく言われます。昭和の時代を知りませんが、僕も初めて見た時は懐かしい気持ちになりました」と言った。牛乳瓶を知らずに育った彼すらも、懐かしさを覚えさせるのは一体なぜだろう。

 

それからようやく僕はこの厚紙キャップを指でつまみ上げたら、難なく厚紙キャップは持ち上げられた。栓抜きを使って開けるものと僕はずっと思い込んできたから、この出来事に少々誇らしく、満更でもなかった。中年期真っ盛りでも実体は子供そのものなのだ。

 

そんな子供気分のままに、いざ口にすると、やっぱりこれが美味しいのだ。牛乳の香りというのはこう云う香りなのだと、つくづくそう思える。僅かに草の香りがして、生きもの特有の匂いもする。なんだか鉄の様な硬い感じの口当たりもしたが、その実は柔らか味のあるのど越しで、コクがあるというよりも、乳そのものの味を感じる。今更ながらに「そっか、牛乳って母乳なんだ! 」と気付く。そんなことさえも分からずにいた僕は、そんな風にしかこれまで牛乳と向き合って来なかったのかもしれない。瓶に入れた牛乳が、僕に大事なことを教えてくれた。

 

そこへ、牧場の主である中洞さんが事務所に現れ、この牧場が軌道にのるまでの苦労話や失敗談を、時間をかけて色々と話してくれた。年の頃は50代後半から60代前半といった年頃なのだろうか、牧場や酪農に対する熱い情熱を湛えていて、それはまるで少年のように、目をきらきらと輝かせて話されるのだった。彼の熱心な話しぶりには、自然への深い感謝と愛情が満ちていて、僕はすっかり聞き入ってしまった。彼の話には、酪農の実体への落胆と、未来への希望が入り混じっていた。

 

中洞さんが実践している酪農は、自然との共生に通じている。しかし彼の酪農事業は、自然保護が先にありきのものでは決してない。酪農と真摯に向き合えば、それは必ず自然と共に生きる「循環型酪農」となるからだ。彼はそれが酪農本来の姿であり、自慢することではないと言い切られた。

 

国内の酪農の現状に対して、僕がここで語ることはない。なぜなら、僕が語るところで、その現状が変えられるわけではないからだ。何かを口にすれば、ただ単に食への不信感を闇雲に煽るだけになってしまう。それに安心や安全は、本来ならば食を供給する側に課せられた責任であるとも僕は考えているからだ。消費者に安心して食べて貰えるように工夫を重ねるのは、そもそも供給側の仕事に他ならない。わざわざそれを謳い文句にするのは、本末転倒な話と言わざるをえないだろう。

人はそれぞれに生業をもち、生活をしている。生産者も加工業者も、そして誰しもが、自分の生を成り立たせるために腐心しながら生きている。生きるということは問題や災難とむき合わざるをえないのは当然の話だ。食の安全という問題は、そうした事に如何に真摯に対応するかが問題なのではないだろうか。

乳牛は、乳牛としての使命を受けて生きている。これが事実だ。しかし、その牛をどのように生かすのかについては、そこに従事する人間の環境によって大きく変わるというのも事実だ。僕はこの「環境」に大きな魅力感じる。「おいしい」とは「美味しい」と書く。この美味しさの源は、生産物を取り巻く環境から生まれている。だから僕は、環境を整え、腐心する生産者に惹かれるし、「おいしい味」を大切にしたいと、そう願う。       

 

しかし、人間は生きるために生産される食べ物について、良し悪しを論じることは無意味だとも僕は思っている。経済活動なくしては、僕らの生活は成り立たないからだ。昔は、生きるための中心に置かれていたのは、食べ物だった。明治期以前の日本人の大方は、農業、漁業に従事していた。維新以後、人々の価値観や世界観は大きく変貌していったのだ…。これ以上語ることも様々に誤解を受けるから、話を戻そう。

 

酪農が関わる自然環境の保護や管理についての彼の話は、殊更興味深かいものだった。

彼は「牛の食べる行為そのものが自然を豊かにする」という。

 

日本列島は、国土の約7割を山地が占めている。山間地域ではかつて林業が盛んだったが、今では外材が輸入され、林業は衰退していった。国内の多くの山間地域は放置されているのが現状だ。

 

中洞さんは、この手付かずとなった山間地域で放牧し、酪農事業を行えば、自然と山は復活するという。やがてそうした山々は綺麗な景観を生み出し、人々を惹きつける魅力的な観光資源となる。彼は、日本の地は、世界に類を見ない程に植物資源が豊かな土地だと言う。そして、木々が育つ環境が整っているから、たとえ東京や大阪などでも、人の手が入らずに放置されれば、自ずと地面から木が生えてくると続けた。それだけ日本列島は豊かな自然環境に恵まれた土地なのだ。中洞さんは、スイスなどの自然観光都市などよりも、はるかに日本の方が綺麗な自然美があるとも言う。僕は彼の話を聞くにつれ、中洞ワールドに完全に惹き込まれた。彼が述べるように、この牧場が織りなす風景は本当に素晴らしい。

雪の中でも逞しく生を営んでいる牛たちを見ていると、僕は、人間はもっと逞しく生き抜けと檄を飛ばされているような心持ちになる。自然に教わることは、数限りなくあるのだ。

 

中洞さんの話の後、スタッフの幸山君が僕を牧場へ案内してくれた。純粋無垢という言葉がぴったりの彼は、中洞さんに負けないくらい目を輝かせていた。彼は、牛はとても優しい動物で繊細な心を持っているから、苛々しながら搾乳すると牛にも苛々した感情が伝わって、上手く乳を出してくれなくなると言う。続けて、牛たちの性格は個体ごとに異なり、妙に人懐っこい牛もいれば、はにかみ屋の牛もいるし、またリーダー的な存在の牛もいると。幸山君は、牛のことたちをまるで同じ釜の飯を食べる仲間のように語って、彼らの生活の様子を色々と僕に教えてくれたのだった。

 

牛以外にもとても楽しい話も聞いた。事務所やプラントも手作りで作ったこと、プラントから出る蒸気を生かした露天風呂で入るお風呂の気持ち良さ。そして、山で摘んできて造った自家製山ブドウのワインのこと、スタッフのこと等など、それは本当に生き生きと話すのだった。

彼のように素直で情熱的な人に会うと、僕は本当に嬉しくなる。なんだか新しい仲間が出来た気分になる。そうした時、もう互いの年齢や経験なんてすっかりどこかにいってしまって、本当に楽しくなってくる。

 

初夏の頃に僕のスタッフらと再訪することを約束して、嬉しい気持ちでいっぱいのままに、僕は牧場を後にした。

 

僕は運転しながら、こんなことを思い描いていた。日本の酪農の全てが山地酪農になったら、きっと世界屈指の自然環境資源をもつ国となって、世界中から観光客が訪れるようになると。もちろん、日本には自然美だけでなく、風土や歴史に培われた食文化もある。そうしたら、きっと本当の意味で美味しい料理が味わえる世界最高峰の国となると。

 

雪の山地で逞しく生き抜く牛たち。

彼らが生み出してくれた、最高の素材「牛乳」に敬意を払い、僕は美味しい料理をずっと作ってゆこう。そう心に強く誓った。