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COLUMN食旅紀行

香り高くが漂う 本州最北のハーブ

 

2012年2月。青森県八戸にあるハーブガーデンを僕は訪れた。

この年の東北地方は降雪が酷かった。豪雪どころか豪豪雪といった方がいい位だ。ところが、横浜から約1000km先の青森まで、東北自動車道も一般道も、スタッドレスタイヤも使わずに走行できたのだ。目的地でその事について尋ねてみると、同じ東北でも、八戸はスタッドレスタイヤが必要となる程に降り積もることはないということだった。

 

実際に現地に足を運んでみると、予め想像していたことと違うことがよくある。日本列島は南北の長く、四季の訪れも、その様子も異なるように、風土も異なる。そして、土地で育まれた文化も実に様々だ。食材をめぐって各地を訪れる度に、日本の風土や文化の違い、奥深さについて、僕はつくづくと気付かされる。

 

今回の話は、岩手県久慈から短角牛を送ってくれる方からの便りから始まった。

ある日、仕込みをしている時にそれは届いた。その文面には「本州最北青森県で目を見張るほどに素晴らしいハーブの生産者と出会いました。一度、食べてみてください」と綴られていた。

その文面を見るまでもなく、届いた箱を開けた時から、僕はすっかり驚いていたのだ。とても色鮮やかで、凛として香っている素晴らしいハーブが入っていることに。しかし、このハーブが目に映った瞬間、僕の目の前には、静岡や山梨、高知の自然風景が広がっていた。その瑞々しいハーブの産地が、便りが知らせるように、本州最北の青森から到来したとはとても信じられなかったのだ。まさかこの季節に、こんなに香り高く色鮮やかなハーブが、あの寒く雪深い所から届くわけはないと。

 

ところが、来る日も来る日もこの素晴らしいハーブの包みが届くのだ。しかも、小さく可愛らしい花が咲いているのも入っていた。

僕はこの事態に、勝手な想像していた。というのは、僕が知っている農業家というのは男性的で、情熱家で、自分の生産物が世界一だと自負する農業家ばかりだからだ。そんなに世界一ばかりがいるわけはないと僕はいつも苦笑している位だ。それはさておき、花をも届けようという感性は一体どこから来るのかと、とにかく不思議だった。

 

ことさら割り切れなかったのは、花が咲いてしまったハーブを出荷すること。花が咲いてしまったハーブというのは、率直に言えば、出荷時期を逸した、失敗作も同然。ハーブは、草、もしくは種を使うのが一般的だからだ。とにかくこの生産者は、僕が想像する農業家のイメージからはかけ離れていて、どうしても頭の中でその人物像を思い描くことが出来なかった。僕は、もうこうなったら直に会うしかないと、生来の好奇心がもたげてきて、こうして往復2000kmの食旅へと出掛けることになったのだ。

 

* * *

 

朝7時に愛車に乗り込み、横浜の店を出発した。首都高に入り東京スカイツリーを後にして進んで行くと、僕はちょっと物悲しくなる。目に映る景色はビルやマンションといったものばかり。つくづくと、僕が都市で生活する者であることに気付かされて、虚しくなる。

心が沈んだままに、原発事故が起きた福島を縦断する。事故の収束を本当の意味でいつ迎えるかは分からないが、福島は、僕にとってかけがえのない大好きなところだ。食を通じて、どれだけの豊かさを今まで僕に届けてくれたのだろうかと思うと、益々意気消沈して心が折れてくる。

さらに宮城、そして岩手。東日本大震災で大打撃を受けたこの2県にも、どれだけ僕は豊かさを分け与えられたことだろうと思う。切なさと悔しさで一杯になっていくうちに、僕の存在にさえ何だか悔しさを覚えてくる。

 

そんな気分のままに僕の車は、ようやく八戸に到着した。

ハーブの生産者宅を訪ねると、僕はすんなりと家の中へと招き入れられた。茶室のような佇まいの部屋に通されると、「一服どうぞ」と茶が供された。そして「主人が到着するまで今少し時間があるので、温泉にでも行かれると宜しいのでは」と主の奥方に勧められた。後で分かったことだが、実のところ奥方ではなく、ハーブを共に生産開発する女性の方であった。下手に奥様などと失言しなくて助かった。ともかく八戸には数多くの温泉がある。地元の人たちは、自宅の風呂よりも温泉銭湯へ出掛けること多く、自家用車には風呂セットを一式常備しているという習慣がある位だ。僕は勧められるがまま、近くの「樹の湯」という温泉場へと出掛けた。

温泉で温まり再訪してみると、生産者本人にようやく会うことが出来た。晩酌しながらのハーブ談義は尽きることなく、酒宴は盛り上がって、気がついた時には日付もまわり、深夜の2時を過ぎていた。家の主が愛犬を抱きながら、うつらうつらしたところで宴はお開きとなった。

 

翌朝早くに農園を尋ねた。そこでは、僕がそれまで出会った数々の農業家の方々とは異なる、非常に面白い栽培や収穫農法がなされていた。その上、生産者の彼は「こんなお皿に、こう飾ったらきっと綺麗だろうね」とか、「この立体感がいいね!」などと、ハーブと語り合いながら、僕を案内するのだった。その姿も、実に風変わりで楽しげだった。

収穫期を逃して、花や脇芽が出た野菜は、本来ならば農家は出荷しない。でも僕たち料理人とっては、野菜の発芽自体も、成長期の野菜も、花も、種も、実は皆等しく魅力的だ。でもそれを出荷する農家は滅多にいない。

僕は彼の姿を通して、ようやく旅前に覚えていた疑問を氷解することができたのだった。そればかりでなく、新たな気付きさえも与えてくれた。何をやるにも確かに知識は必要だが、時にそうした知識が邪魔をして、新たな可能性や方法を見出だせなくなることがある。しかし彼だったら、知識を十分に蓄えていても、いつでも新しい農業の道を見付けて、歩かれるはずだ。

最後に彼は「北緯40度前後の緯度の土地では良いハーブが育つ理由は、地図で調べれば分かる」と述べられた。

 

僕はこの後、農園のハーブを使ったとても面白い料理をご馳走してもらった。それは、ハーブの手巻き寿司。本当に驚いた。その発想の豊かさには参ったとしか言いようがない。僕も機会があれば、皆に披露したいと思う。もう一つ僕を驚嘆させたのは、「発酵ハーブ」。発酵ハーブに漬け込んだ鶏肉は、食感が柔らかで美味しい。しかもハーブの香りが熟れているため、ハーブが前面に押し出ることなく、実にマイルドなのだ。ただただ、感服するばかりだった。

 

往路の重苦しい気持ちとは裏腹に、僕の心はすっかりとハーブに占領されていた。

岩手、宮城、そして福島と、横浜に向かって車は走る。この地域の方々とまた会える機会があれば、今度は僕が豊かさに満ちた料理できっと恩返しをすると、通り過ぎる度に心に念じた。

 

新しくも楽しい発見。いつでも僕を夢中にさせる。青森八戸の香り高いハーブ園。

さあ僕も精一杯、このハーブを味方に香り豊かな料理を創作しよう。