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COLUMN食旅紀行

立派な作り手は やはり 一級品である

 

とてもいい出逢いがある。京都は丹後、宮津でのことだ。

僕は毎年2月になると食材の産地へ足を運ぶ。暮れから年始かけては何かと忙しいからだ。食材産地への旅は、いつもこの時期から始まる。宮津へ赴いたのもそんな頃だった。

 

京都府宮津でのことだが、僕の耳に焼き付いた言葉がある。

現地の方に、「やっぱり京都は良いですね」と僕が話したら、「ここは京都ではなく宮津です」と即座にきっぱりとした返事が戻ってきた。この言葉は、僕にとって本当に印象的だった。

その時僕は、えっ?と思ったが、その勢いの良さに押されて「地図上では宮津は京都府内だから…。知らずにすみません。失礼しました」としどろもどろで答えた。「そうか、ここは京都じゃないのか」と理解した。

京都府外の人に一括りにされる「京都」だが、地域が異なれば、それぞれに育まれた文化も異なるのは当然だ。府内にも様々な文化圏があり、それぞれに皆が地元に誇りをもって生活をしている。

確かに考えてみれば、僕の住む横浜でも同じだ。出身はどこかとよく聞かれるが、「新横浜」と答えると、「あぁ港北ね」とそっけなく言われることはよくある。

食材をめぐって様々に出かけるが、それぞれにその土地固有の歴史と文化があり、地元に対する愛着程度も微妙に地域毎に異なる。旅先や仕入先で人と接する時、僕は多少慎重になる。僕の不案内によって、地元の人々の感情を左右させてしまうことがあるからだ。宮津での印象的な言葉から大事なことをまた気付かされた。

 

ところで、今回宮津まで出向いたのは、店の仕入先として懇意にしている京都市内にある老舗の油の専門店から聞いた話がきっかけになった。

関東圏で天麩羅というと、胡麻油が使われるが、関西圏ででは菜種油が一般的だ。この店と出合うまで菜種油に関しては、僕は今一つ分かっていなかった。というのも、フランス料理では油で揚げるという仕事がないと言っていいほど少ないからだ。西で多く使われるという菜種油に、ある時期興味を抱いた僕は、巡り巡ってようやくこの店に辿り着いたのだった。付き合いはそれ以来。もちろん、今も途切れることなく続いている。

 

菜種油と一口に言っても、用途に応じて様々な風味がある。香りが柔らかなもの、香りの強いもの、さらに菜種を炒って香りを強調させたものなど、実に様々。油の専門店だから、胡麻油ももちろん手掛けている。取り扱う胡麻油の種類多く、風味も実に様々のようだ。僕が専ら取り寄せているのは、香りの強くない柔らかな風味の菜種油。

 

話が脱線してしまったが、僕が宮津へ出向いたきっかけは、この店で交わした会話からだった。

 

この頃の僕は、果実酢に興味をもっていた。だからこの店に寄せてもらった時にちょっと聞いてみたのだ。しっかりとした味わいの果実酢を作っている醸造所を知らないかと。すると、「丹後は宮津にとても素晴らしいお酢屋がある」という答えが返ってきた。続けて「そう言えば以前お酢を一本頂いたはずだから、それを味見してみますか」という実にありがたい言葉を頂いた。その言葉に甘えて、出された酢を味見させてもらったら、それは、僕が今まで味わったことのない、実に素晴らしい酢だったのだ。

出された酢は、紫芋を原料とした「紅芋酢」と呼ばれる酢で、宮津の飯尾醸造で作られているとのことだった。それまで試してきた果実酢や醸造酢に、僕は実のところ満足させられたことはなかった。特に果実酢は、口当たりを良くするために、醸造する際に蜂蜜や糖分を添加しているものばかりで、余計な糖分が、雑味となり、調味の邪魔になるのだ。だからこの口の中にすっきりと広がるこの酢は本当に驚くべきものだった。僕は京都のこの店を後にし、早速紹介してもらった醸造所へと向かった。

 

* * *

 

底冷えの京都の町を抜けて、日本海に面する丹後、若狭湾へと車を走らせた。途中、アパレルメーカーのグンゼの本社を目にした。グンゼはここ京都が本拠地だ。考えてみれば、幼少時からグンゼには世話になってきたから、本社ビルを目にした時は、何だかもの凄く大切なものを発見したような気分になった。「グンゼ」という社名は「国に国是(国民が認めた国の基本的な方針)があるのならば、郡に郡是あり」という考えに則って「郡是=グンゼ」と付けられたという。そんなことを道中に感慨深く思っていると、京都縦貫自動車道を通り抜け、日本三景の一つ天橋立で有名な宮津へと到着した。

 

初めて訪れた宮津は、若狭湾の西側に位置し、宮津港と天橋立で仕切られた阿蘇海の沿岸にある。車から降りて直ぐに、僕はそこが実に穏やかな土地で素敵な場所であることを理解した。それから再び車に乗り込んで、海を前に右へと曲がり、3km程進んだ右手に、目指した飯尾醸造はあった。

しかし、店は静かで閉まっていた。辺りには人影もない。もしかしたら、事務所は別の場所かもしれないと思った僕は、近辺を探索したが、それらしき建物は全く見当たらなかった。困り果てた僕は、再度最初に来た店の近くの脇道を入り、店の裏側にまわってみた。すると、「飯尾醸造の酢」と染め抜かれた暖簾が掛かった入り口らしきところを発見した。

中を覗きこんでみると、やはり醸造所と何ら変わらない様子で、人影もなかった。電話さえ入れておけば事足りたのにと、今頃になって反省しつつ、ようやく電話をかけてみた。

呼び出し音が鳴る間もなく「はい、飯尾醸造です」という素晴らしい応対で電話が繋がった。僕は慌てて「実はその…来てしまいまして、京都の油屋さんから紹介頂きまして…。今お店と思われる、酢と書かれた暖簾の前に居るのですが…」としどろもどろに答えたら、ようやく僕が店の目の前に居ることに気が付いてくれた。

すると、暖簾の脇からが「こちらへどうぞ」という声が掛かった。物腰柔らかな方が現れて、僕を事務所の中へと招き入れてくれた。

事務所の隅に置かれた椅子にぽつねんと座っていると、若い男性が颯爽と現れて「ようこそおいで下さいました。宜しければ醸造している蔵をご案内させていただきます」と挨拶された。もちろんその言葉に甘えたのは言うまでもないが、同性の僕からも観ても魅力的に映るこの人物は、丁寧な言葉遣いそのままに、実に礼儀正しく蔵の中を隈なく案内してくれたのだ。

酢醸造所を見学するのは初めてだったが、酒造りと似ているなと思っていると、やはり酢は日本酒造りから始まるとのことだった。僕はやっぱりなどと呑気に構えていたら、「でも、うちでは土作りから始めるのです」と彼は続けた。説明を受けるうちに、僕はここで醸される酢の全体像をようやく理解した。

ここで醸造する酢の原料の米は、専用の棚田で育てられていた。飯尾醸造では、兎に角おいしい酢はおいしい米からできるという信念を貫いていた。

苗を育て、田植えをする。もちろん無農薬。ようやく収穫すると、それから精米して、ようやく酢の原料を手にすることができる。基本的に酢は、酒を酢酸発酵させたものだ。米を蒸して、米麹を作る。それを酵母で発酵させると醪(もろみ)となる。さらに酢として仕込まれて熟成させる。それから2年の歳月を経て、ようやく晴れて瓶詰めされるのだ。工程に関わる全てを、飯尾醸造では一貫して手造りする。販促、販売も事務所が担う。

出来上がった酢には、途方もない手間と時間、そして愛情が惜しむことなく注がれていた。ただの酢ではないことは、京都の油屋での試飲で分かってはいたが、ここまで凄いとは本当に思いがけないことだった。

 

飯尾醸造の果実酢も素晴らしいものだった。「にごり林檎酢」、「無花果酢」、「ざくろ酢」、「梅べにす」等など。原料に真摯に向き合い、丁寧に造られていることがストレートに伝わる酢ばかりだ。

 

見学が一段落すると「お腹が空きませんか」と尋ねられた。「そうですね。少し空いた気がします」と返事すると、「お時間は大丈夫ですか」とまた問われたので、即座に「はい」と神妙に答えると、それではと店の外へと僕を連れ出してくれた。

天橋立を案内され、蕎麦をご馳走になった。そしてワインの貯蔵庫にまで僕を招き入れ、最後には土産まで。突然現れた珍客に、本当に至れり尽くせりの歓待をしてくれた。訪問時から店を後にするまでの至れり尽くせりに、僕は終始感動させられっぱなしだったのだ。

 

* * *

 

その後、飯尾さんから一通の手紙が届いた。

「宮津まで遠路ようこそお越し下さいました。…中略…今度は春においで頂ければ、大変素敵な景色がご覧になれます。よろしければ、またおいで下さいませ。」

丁寧な挨拶文のみが封入されているばかりで、商売に関わる冊子などもなく、その潔さに僕は清々しさで一杯になった。

この手紙が物語るように、嘘のない商品には風格が感じられ、その作り手は揺るぎない品格がある。立派な商品には、必ず一級の品格が備なわっているということ。

 

飯尾醸造の酢を料理に使う度に、やはりいつかこのような品格のある人間になりたいと僕も願う。日々精進あるのみ。