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COLUMN食旅紀行

山里の案内人 春の山菜は山形県からやってくる

 

舞茸をご存知だろうか。えのき茸やシメジと一緒に野菜売り場に並んでいるから、知らない人はいないと思う。しかし、舞茸が一般的に知られるようになったのは、人工栽培が始まってからの話。以前は幻のキノコと呼ばれ、馴染みのない茸だった。今になってみると面白いが、僕もその昔、この舞茸についてまるっきり知らなかった。今ではすっかり、キノコ馬鹿を称している人間だから、天然の舞茸の手に入れることはもちろんのこと、探し方もよく承知している。

そんな舞茸について無知な時代、僕は天然の舞茸がどうしても入用になったことがあった。その時は知る限りを当たり、探しに探したが見つからなかった。

諦めかけてはいたものの、どうにかならないかとネットサーフィンをしていた時、ふと「山の案内人」というサイトに行き着いた。ひょっとしたらという見当だけで、僕はこのサイトの運営人に電話を入れてみた。直ぐに繋がり、早速「天然の舞茸が欲しい」と相手に単刀直入に聞いてみたら、こんな返事が戻ってきた。

「それはいいが、私が送る舞茸が、栽培されたものか、天然のものか、どちらなのかをあなたに見分けがつくのか。 どうせつかないだろう。ならば、私が栽培の舞茸を送って、天然を送ったよって言たっていいかもしれないね。それでも構わないか」と。

こんな調子の、何とも言いようのない返答に、僕は戸惑いながらも「それではどうすればいいですか?」と聞き返したら、一言「採りに来なさい」と。

 

電話の主は、山形県最上郡金山町にいる。今からそこまで行くとなると、夜行列車に揺られるしかないなと思いつつも、やっぱり行くしかないのだと決心した。僕が直接に参る旨を伝えると、受話器を置いた。

 

こんなやり取りをした後、夜行列車に乗ろうと段取りをしていたところに、一本の電話が入った。警察からだった。店のスタッフの一人が人身事故を起こしたというのだった。僕は仕方なく警察に出向くことにして、金山へは別のスタッフの一人に代行させることに決めた。僕から至上命令が下ったスタッフは、すぐさま夜行列車で金山への途についた。 

 

* * *

 

ここからの話は、後日その彼から聞いたものだ。

彼は件の案内人の元に到着するなり夜食をとり、床に着いた。そして翌日の早朝から目的の山へと向かった。しかし「山」と一口に言ってもそれは、僕やスタッフの彼が考えていたような生易しいものではなかった。

 

山に入ってからしばらくすると案内人は、急に爆竹を取り出したかとおもうと、すぐに物々しく鳴らし始めた。それは何と!熊よけのためだった。彼はその時まで、熊のことなんかまるっきり想定外だったので、「えっ熊?!」と腰を抜かすほど驚いたのは言うまでもない。でもその時は、すでに山に入っていから30分近くも経過していたから引き返すことはもう無理だった。なぜならここまで山に入ってしまうと、一人だけで下山することは危険を伴うことになるからだ。彼は仕方なく、ひたすら案内人の背中にただ付き従うしかなかったのだ。その背中に見つめながら登り続けること4時間程した頃、突然、案内人が「うぉお~」と、大声を張上げた。度肝を抜かれた彼は「どうしたんですか?」と思わず聞くと、「熊が近くにいる」との返事が。「だったら爆竹鳴らせばいいじゃないですか」とちょっと腹立ちまぎれに問うと、「もう無くなった」と…。

 

* * *

 

彼が山中で戦々恐々としている頃、僕は警察署で事故の説明を受けていた。警察の話では、人身事故だったが幸い相手は怪我もなく、彼の状況とは裏腹に、僕は安堵の溜息をついていたのだった。

僕がレストランに戻った頃にはもう日も沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。未だ金山からの連絡が入らないことに気を揉み始めた頃、ようやく彼から電話が。興奮した声で「採れましたー!」と。

 

連絡が遅くなったのは、舞茸の採集時期と関係していた。もう10月も終わろうとしている頃だったから、舞茸を狩るには少々遅かったのだ。

案内人は時期的に難しいと、道中諦めかけていたそうだ。もはやこれで撤収かと思われた頃、案内人は「向こうに見えるミズナラが最後かな」と呟くと、「おや匂いがするぞ」と顔をほころばせた。

「お前行って見て来い」と指令を受けた彼は、崖上のミズナラへと一人向かった。しかし、ミズナラの前には何も見当たらなかった。「ありませーん」と大声で報告すると、「下を見ろ!」と案内人の声が遠くから聞こえた。ここまで来た以上逆らうわけにもいかず、もう一度よく見てみようと、今度はミズナラの根元の向こう側に回りこんでみた。すると、ミズナラの根元に、舞茸が塊になって群れていたのだ。「あっ!あったー」と彼は無我夢中で雄叫びをあげたのだった。

 

* * *

 

僕がそのサイトを閲覧してからの慌ただしい展開で、他にも色々とあったが、結果的には舞茸は無事手に入った。熊をよけ、崖地を上って収穫した彼は、ようやく下山したところで連絡を入れてきたのだった。彼はこれから横浜まで向かうと言って、電話を切った。

 

彼の帰りを待ちに待った僕だったが、戻って来る頃には、あの事故の一件も頭の中からすっかりと消えていた。待ち遠しくはあったが、丁度良かったのかもしれない。

舞茸が入った籠でも下げて戻ってくるのかと、呑気な想像をしていた僕だったが、彼が携えてきたのは、何とも凄いダンボール箱だった。あまりの大きさに気圧された僕は、「お疲れ様」と彼を労うこともすっかりと忘れていた。後日その非礼を詫びたが、彼は、あの時は疲労困憊でそれどころではなかったと僕に伝えた。確かにそれはそうだろう。

 

ところで、この何とも大きなダンボール箱。はやる気持ちを抑えながら早速開いてみると、臭気ともいえるような物凄い香りが辺に広がった。クサヤでも買ってきたのかというような匂い、いや香りだった。兎にも角にもと、早速焼き始めてみると、それが一体どうしたというのだ。さっきまでの漂っていた匂いが、もう堪らなく芳ばしい香りに変わったのだ。

一刻も早くその香りを噛みしめたいと、焼き上がれと念じるものの、僕の意に反して、それは実にのんびりと焼けていく。天然舞茸は繊維が詰まっているから、焼き上がるのには時間がかかるのだ。そんな当たり前のことに、僕以外の皆は気が付いていたが、僕は一昨日からのことが頭の中をよぎっていたせいか、お預けを食らった犬のように、ただ一人ジリジリとした。

ようやく天然舞茸も焼きあがり口に入れてみると、もうそれは僕の思っていた以上に、物凄く旨かった。それから、もう一株、もう一株と、焼いては口に放り込み、焼いてはその美味しさに悶絶したのだ。そうして、ようやく僕の長い一日が暮れていた。その日が舞茸に負けない程に、香ばしい一日となったことは、読者にも伝わるだろうと思う。

 

* * *

 

この晩秋の記憶が新しいままの翌年の春、僕はようやく金山に出掛けた。今回は、山菜が目的だった。というのも例の案内人が「春は山菜の季節だから来い」と僕を誘ってくれたのだ。僕は早速、昨年に疲労困憊になったスタッフを伴って馳せ参じたのだった。昨年のお返しに、僕は現地で山菜フレンチを振る舞う心積りでいた。結果的には振る舞いはしたが、先方からも美味しいものを数々振る舞われ、その目的は多少帳消しになってしまった…。しかし僕も一応料理人の端くれ。きっちりと振る舞ったつもり…ではいる。

 

驚いたことに、昨年スタッフが上った山は、いざ足を踏み入れてみると、僕がイメージしていた山とは随分と違っていた。「山」と単に呼んでいたのだが、実に雄大な山だったのだ。山菜の種類も実に豊富で、ひとたび山に入ってみれば、もう採れる採れるという感じだった。蕗やミズ、コゴミや一本コゴミ(赤コゴミ)、イヌドウナにシドケ、ネマガリタケにアケビの芽、それにタラ、ハリギリ、ウドの芽、アイコ等など、思い出すのも大変な位だ。

さらに嬉しいことに、山菜狩りを終えて宿に戻ってみると、地元の山菜をたっぷりと盛り込んだ「比内地鶏鍋」が僕らを待っていたのだ。この比内地鶏も実に絶品だった。比内地鶏の奥深さについても、僕はその時に初めて分かったのだが、それついてはまたの機会に。

 

もう一つ、心に残ることがあった。それは「行者大蒜(ぎょうじゃにんにく)」のことだ。

夕食の時、膳の脇にもの凄く立派な行者大蒜が並べ置かれていた。葉は青々として瑞々しく、実に生命力に溢れていた。その姿の良さに見惚れて、僕は思わず「あれ、いつ行者大蒜を採っていたのですか」と尋ねてみた。「ああこれはね、友人が今回のためにわざわざ秋田まで出向いて採ってきたんだ」と。それで「えっ、それでその方はどちらに」と聞き返してみると、「いやね。何だか腕がパンパンに腫れあがってしまったから、お医者さんに診てもらっている」と。その話では、どうも虫に刺されて腫れ上がったらしく、医者には数日経てば腫れも引いて治るということだった。それは良かったと安堵したものの、その人物は自身が大変な状況にいるのだというのに、宿までわざわざ届けに来てくれたのかと、僕はつくづくと感じ入って、その人物に強く興味を引かれたのだった。

 

* * *

 

翌春、僕は再び金山の地にいた。もちろん、興味を覚えたその人物に会いに。でも熱烈に会いたいという本心は隠して、昨年のお礼ついでにという体裁をとった。

二度目ともなると僕はすっかり慣れた足取りで、意気揚々と駅の駐車場へ向かった。すると、例の案内人ばかりでなく、思いがけないことに僕が会いたかったその人物も出迎えに来てくれていたのだ。

 

車に乗り込むやいなや、僕は虫に刺されたその後を伺いたい気持ちを抑えて、あの時の行者大蒜は本当に美味しかったと礼を述べた。その彼は「そうですか、それは良かった。行者大蒜は美味しいですよね」と控えめな口調で仰有られる。「はい。たまんなく美味しいです」と相槌を打ったけれど、やはり聞きたさに負けて「そう言えばあの時、虫か何かに刺されて腕が腫れあがり病院へ行かれたとか。その後は大丈夫でしたか」と聞いてみた。すると彼は「ビックリしましたよ、 腕が見る見る腫れあがってきて、パンパンになってしまって 。直ぐに病院へ行きました」と。僕はたまらず「えっ!? でも 行者大蒜をお店まで、お持ち下さいましたよね」と聞き返すと、「いえいえ、それどころじゃないので、飛んで病院へ向かいました、 そしたら、即解毒剤のような注射を打たれ、そのまま入院して、翌日家に戻って養生しました。3日経って、ようやく腫れも引いて治ったのです。それはもう死ぬかと思いました」と。

一体誰が、あの時僕らの宿まで届けてくれたのだろうと不思議に思った僕は「では、あの時どなたが行者大蒜を」と伺うと、「家の女房です」とのこと。そうだったのかとようやく納得した。

 

しかし実は、僕はその方に会って、ちょっと意外な気分になったのだ。その人物が僕が長い間想像していたような、逞しくワイルドな人物ではなかったからだ。多少気持ちが萎えしまった感じがするのは否めないが、この人物の人の良さに、この時以来僕は心底参ってしまったのだ。それからはずっと、その人物、羽賀さんに世話になっている。

 

この話にはとびっきりの余談がある。今振り返ると恥ずかしいが、実は羽賀さんのことを、僕は「虫刺されて病院に行く」なんて、ちょっと変わっていて面白い人だなと思っていたのだ。しかし僕のこの不遜な思いが、まるっきり天に唾を吐いていたのだと言うことに、後々嫌というほど思い知ることになった。幼少の頃、祖父にはよく言われていたっけ。「天に唾するな!」と。

 

* * *

 

それは翌年のことだ。再び羽賀さんの世話になって、山菜狩りに行った時のこと。山を下りて、羽賀さん宅で奥様手作りの夕食を頂き、その美味しい膳もすっかり食べ終わる頃になって、僕の身体がとんでもないことになったのだ。突然息苦しさを覚え、そのまま呼吸困難に陥った。あまりの苦しさに救急車を頼み、そのまま病院に搬送された。「こんな形で人生を終えるなんて、なんてこった。あの登山家の植村直己もこんな感じで亡くなられたのかな」と遠のく意識の中で呟いていた。

結局は、格好良いのか悪いのか、病院のベットの上で目を覚ましたのだった。いくら山が好きでもここで死ぬのは本望などということはなく、生きていることに僕は心から感謝した。

呼吸困難に陥った原因は特定されなかったが、医師の見立てでは、虫刺されによるアレルギー反応だろうということだった。この時は、家内や娘、母や会社の人々に、本当に心配をかけてしまった。生まれて初めて、僕は猛烈に反省したのだった。

 

しかし、羽賀さんとの間では、この話は全くのお笑い草だ。今だに、虫刺されの話で何度でも笑い合う。そんなこんなだが、山形金山からは、毎年春になると山菜の便りが届く。