HANZOYA

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COLUMN食旅紀行

夏の香りと春の香り

 

料理人にとって食物を味わう感覚はとても大切だ。僕の味覚の原点は、幼い頃から味わってきた「野菜」にあると思っている。僕の祖父は、農業家だった。僕の味覚はこと「野菜」に関して言えば、彼のおかげで幼少期から自然と鍛えられてきたのだと自負している。

 

幼少の頃、祖父と祖母は家の近所に暮らしていた。母からよくお使いを言いつけられては、彼らの家に出入りした。

母のお使いの大方は、夕食前に言い渡される「お祖母ちゃんの家の裏から葱を取ってきて」というものだった。しかしそのお使いに、僕はいつも気乗りしなかった。というのも、祖母の家の裏というのは、薄暗いお稲荷様の横を通って行くしかなかったからだ。その上、葱の保管場所はゴザとビニールが二重にかぶさっていて、それをめくると必ずナメクジやダンゴムシやコオロギといった有難くない生き物が、ゾロゾロと這い出てくるからだった。葱を頼まれると、あの薄暗さとゾロゾロがつい脳裏をよぎって、いつでも僕は生返事をした。

 

といっても、このお使いをサボったわけではなかった。僕は祖母に会いたかったからだ。彼女はいつでも葱を取りに来た僕を「よく来たなぁ」と温かく迎えて、あのジメジメとした家の裏までついてきてくれたのだ。そして「いい子だなぁ」と言っては、お小遣いまでくれるのだった。

 

そんな可愛げのある少年もどこか悪知恵を身につけて、小遣い欲しさに「葱でも取ってこようか」などと、頼まれてもいないお使いを買って出るようになっていた。親となった今では、こんな手口は見透かされていたのだろうと苦笑している。

 

そんな少年だったけれど、よく祖父の手伝いもしていた。降雨が足りない時には、一輪車に水を汲んで畑まで運んだ。しかしやっぱり悪戯小僧の悪ガキだった。他所の畑に侵入しては、薩摩芋を掘り返し、トマトをもぎ取っては喰らいついていた。自分の家の畑で採れない作物を、忍び込んでは失敬していたのだ。

 

*  *  *

 

そんな少年が料理人になってみて、ふと疑問に感じたことがあった。それはイチゴとトマトのことだ。

 不思議に思ったのは、僕の記憶していたイチゴとトマトの季節と世間に流通する時期が異なることだ。僕がくすね食いしていたのは、イチゴならば5月末頃から6月頃だったし、トマトならば6月中旬過ぎだったはずだ。それが料理人として仕入れてみると、イチゴはクリスマスの時期から国内産が出始めて、2月から4月頃が最盛期を向かえ、トマトは3月から5月が一番出回るのだ。

 

そんな疑問を抱きつつも時は流れて、プロとして6年目のことだった。当時僕が働いていた店のスタッフ全員で、浜松にあるフランス料理店に出掛けたことがあった。

 

僕はこの店のテーブルで腰を抜かした。別にギックリ腰になったわけではない。この店で出された野菜料理、その野菜自体の味のあまりの素晴らしさに驚嘆したのだ。今の僕が、さらに野菜の虜になったのは、この衝撃が味覚の深い記憶となっているからだろう。

 

この店で食事をした後、店の方が僕らをハウス菜園へと連れて行ってくれた。それはレストランの自家菜園。ハウスに一歩入ってみると、その光景に僕はわが目を疑った。今でこそ知られているが、そのハウスでは当時は本当に珍しい「永田農法」が実践されていたのだ。

 

別名「スパルタ農法」とも呼ばれるこの農法は、極限まで水と肥料を減らして作物を育てるものだ。作物を飢餓状態の様に追い込むことで、作物の力を引き出し、栄養分を多く貯めこませるのが目的。だから出来た作物の味は当然濃くなり、旨味が強くなる。店で出されたのは、今ではよく知られているフルーツトマトだった。小ぶりのトマトだったが、素晴らしく甘く、旨味がぎゅっと詰まっていた。

 

その他に彼が教え伝えてくれたことがある。口頭での説明だったが、それはイチゴのことだった。彼の話では、最高のイチゴを味わうなら、ハウス栽培された地元産に尽きるという。彼の話については、僕もその後につくづくと実感したことだった。

 

作物の生育状況を管理しながらの農法は、今では研究開発が進み、水耕栽培や高設栽培や液肥栽培等など、実に様々になされている。しかしこうした栽培方法の中には、何だか自然の育成からかけ離れた感じがして、疑問を感じてしまうものもある。しかしいざ育成されたものを口にしてみると、やはり露地物に比べて格段に違う。特に特殊な農法でハウス栽培されるイチゴとトマトは、凄い!としか言いようがない。

 

さらに加えるのならば、もし読者の方がイチゴの最高の旨さに出会いたいのならば、彼が伝授してくれたように地元で仕入れるのが一番だ。

 

イチゴは熟すにしたがって、傷みやすく日持ちがしない。生産農家は、出荷から消費者の手元に届くまでの流通や販売にかかる時間を逆算して、イチゴが熟す前に摘み採って出荷するのが通例だ。この時間のことを業界では「棚持ち」と呼ぶ。業界では、棚持ちが良くて、しかも美味しいイチゴを作るべく品種改良に腐心している。しかし、僕が現状を率直に言うなら、いかなる品種改良がなされたイチゴでも、やはり棚持ちを考慮に入れたイチゴは、結局は完熟したイチゴに勝ることは出来ない。

 

だから、本当に美味しいイチゴを味わいたいのであれば、地元のイチゴ農家に直接足を運んで、完熟したイチゴを買い求めることをお奨めする。そして、贔屓のイチゴ農家さんと長く付き合うことだ。何故なら、イチゴは年毎に収穫が変わってしまうからだ。今年のイチゴは今ひとつだったということは、僕も何度か経験している。しかしイチゴ農家と懇意になれば、最高に美味しいイチゴと出会える機会が一見の客よりも圧倒的に多くなるのだ。 これはトマトにも同様だが、イチゴは特にそうだ。

 

僕が幼少期に食べた旬の黒く日焼けして酸の効いたイチゴと青く瑞々しいトマト。そして、魅惑的なハウスもの。どちらもそれぞれに比べようもない魅力がある。

 

でも僕の身体には、あの悪ガキだった幼少期の「初夏の香り」と「春の香り」が染み込んでいる。季節の香りを放った野性味にこそ、野菜の個性、魅力があるのだと、僕の記憶が勧めるのだ。