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COLUMN食旅紀行

基本は自ら 水で加わる味

 

 

二十世紀がそろそろ終わりを告げようとする頃、僕は「自然」に惹きつけられ、野山を歩きまわることに夢中になった。それまでの僕は、四季というのは、1月なら冬、4月なら春といった風で、自然に対する認識はまるっきり紋切り型だった。いざ野山に分け入ってみると、それが一体どうしたことだろう。寒風吹きぬける1月の野山は、すでに春を迎える準備に入っていたし、4月になるとすっかり夏支度され、花々には蜜蜂がやかましい程にブンブンと群がっていたのだ。

 

でも、そんなことは、ほんの序章に過ぎなかった。

野山はその日その日、時折々で、いつでも様変わりしていたし、枯葉の絨毯の下では、次の季節準備が密やかに進められてもいた。キノコや山菜、野草や果実、種実といった自然の恵みが溢れていたことには、いつでも胸が踊ったし、里山の田畑には、連綿と受け継がれてきた農夫の知恵がたっぷりと詰まっていたのだ。僕はそれまで知らなかった自然の姿や理に新鮮な驚きを覚えたのだ。

 

早春の山はいつでも僕の心を躍らせてくれる。

霜にあたって紫色に色付いていたクレソンはいつの間にか見違えるような姿で、水辺に揺らめいている。眺めているだけで僕の舌は、瑞々しい清涼な辛味を覚えてしまう。ほろ苦い蕗の薹、シャキシャキっとした食感が楽しいイタドリの芽を摘むのはこの季節ならではの楽しみだ。まだ青く閉じた菜の花の蕾を口に含めば、春の香りが口いっぱい広がる。

そして染井吉野が咲き誇る春爛漫の頃は、春シメジやモリーユ茸がひょっこりと顔をのぞかせ、山菜類が大地から湧き出てくる。僕らは小躍りして野山に入り、ここぞとばかりに山の幸を頂いてくる。

 

そんな山菜シーズンを見送る頃には、河原では蓼摘みが、そして待ちに待ったアユ漁が始まる。

鮎は本当に美味しい魚だ。僕は神奈川県内の鮎屋さんから、酒匂川を遡上するものを譲ってもらう。「酒匂川の鮎で、是非客人をもてなしたい」という顧客の要望がきっかけだったが、今にして思うと本当に絶妙な出会いだった。今では毎年鮎のシーズンを迎えると、この遡上鮎を胸踊らせて料理している。

 

鮎の盛りを迎えると、今度は落葉樹と針葉樹が混じりあった山へと向かう。鮎に舌鼓を打つ頃は、丁度キノコの季節が巡ってくるからだ。「キノコは秋」と世間では言われるが、実は春からゆっくりとその歩みを進めている。夏に盛りを迎え、晩夏になってようやく、大御所の松茸や舞茸が登場し始める。

 

初夏のキノコの醍醐味はなんといってもポルチーニ茸。キノコはもちろん他にも沢山ある。けれども僕には、ポルチーニ茸に勝るキノコはないと言っていい位だ。ポルチーニ茸はフレッシュでも十分に美味しいが、椎茸のように乾燥させると、風味と旨味がより一層増してくる。

そんな美味しいポルチーニ茸が出回る頃は、丁度アスパラガスの旬を迎える。ポルチーニとアスパラガスの旨味と香りをいっぱいに吸い込んだリゾットは、この季節ならではの至福の味だ。鍋の底をさらうように切り混ぜる時、鼻に抜ける香りに陶酔して、僕の口元はついつい緩んでしまう。

 

夏の熱気がすっかり冷めて、お月さまが輝きを増してくる頃は、海老や蟹が騒がしくなる。僕も浮足立って、いそいそと市場へと向かう。神奈川で水揚げされた、とびっきり美味しい活けアカザ海老が並ぶからだ。

ラングスティーヌ、スカンピと呼ばれてフレンチやイタリアンで馴染み深いこの海老は、「活け」でこそ、その贅を味わえる。この海老を一時味わってしまうと、僕はすっかり気が抜けて、しばらくの間は他の海老に目が向かなくなる。それほどまでに、抜群に美味しい海老なのだ。

 

秋の気配が感じる頃、野山では果実や木の実が熟れ始める。ミズの実やグミ、五味子や山ブドウ、サルナシにマタタビ、自然薯などなど、色とりどりだ。

そんな山の恵みを拾い歩くと、よく野生動物と遭遇する。中でも、日本カモシカにはいつも驚かされる。視力が弱いのか、知らぬ間にすぐ傍らにまで近寄ってくるから、実を言うとちょっと怖い。本州鹿の雄も、立派な角を立てて遠くからこちらを窺っているからドキリとさせられるし、あの 熊の気配だってゾクッとする。

そんなおっかなびっくりで巡り歩く、僕の野山の一年も、霜降る頃のシモフリシメジや、茶饅頭のようなチャナメツムタケの収穫を合図にしてようやく暮れる。

 

*  *  *

 

僕がもっぱら贔屓にする野山は、山梨県内にある。山梨の自然の懐に抱かれながら、野山の恵みを求め歩いて数年経った頃、深く感じ入ったことがあった。それは、「水」のこと。僕が汲むのは富士の水。その水は、富士山に降り積もった雪が溶け、数十年もの年月を経て、ようやく湧き出てくる。

初めてこの水を料理に使った時、水が秘める力の凄さに、僕は心底参ってしまったのだ。軟水の富士の水は、出汁をひくと、味は驚く程に優しく仕上がる。それは清純そのもの。最初に使った感動そのままに、僕は今でもこの水を使い続けている。水は食材に染み込み、味を引き出し、味を加える。塩加減や香りの加減は料理の出来栄えを左右するが、それも水とのバランスに気を配らなければならない。僕はこの富士の水にすっかり馴染んでしまっているから、今では他の水では上手く味が出せなくなった感じすらする。

 

水は大いなる自然からもたらされる生命の恵みそのもの。僕は、美味しい一皿のために、また富士の泉に、そして野山に向かう。